今日テレビのニュースでニートの特集をやっていて、
そのなかで「生活保護ニート」について触れられていた。
問題になっているある「生活保護ニート」は、
「軽いうつ病」との診断書を提出して
勤務不能という理由で生活保護を受けたが、
不審に思った担当者が別の医師に診察させたところ
「うつ病」ではないとの診断が出たため、
その後受給を半年で打ち切った、という内容。
「ケシカラン!」というコメンテーターのコメントつき。
生活保護ニートで検索をかけて見ると、
以前にも別のニュースで特集があったようで、
それについて触れているサイトもいくつか見たが、
その中には、親のお金だけでなく、国のお金を使う事に対しても
なんだか抵抗があるようなコメントも見られた。
あー、だから「生活保護ニート」って言葉が出来たんだね、
なんて思ったりして。
っていうか。
世の中ニートという言葉が蔓延していて、
社会問題として語られるけど、
しかもご丁寧にいつも英語を直訳したような
定義もついてたりするんだけど、
ニートの実態ってそのひとことでは括れないぐらい、
多種多様だよねえ・・・と思う。
今回のニュースについてもいっこいうなら、
「軽いうつ病」と診断された人が
別の医師に「うつ病ではない」と診断される、
というのはありえることだと思う。
私の記憶にかけていうが、番組では、
最初の診断のときには「軽いうつ病」とアナウンスされ、
別の医師の診断では「うつ病ではない」とアナウンスされた。
社会保険事務所の担当者が不審に思ったという点については、
家族に話を聞いたときに本人の話と矛盾があったということなのだが、
。
私が言いたいのは、
問題になっている人は本当に悪意や怠惰で虚偽の申請をしたのかも知れないけれど、
そうでなかったと考えられる余地も大いにある。
その人がどっちだったのかよくわからないが、
本当に生活保護を必要
よからぬ事態が起こらないことを祈るばかりだ。
寄る年波には勝てないと思うことが、ここ最近急増中。
白状します。
今年の冬、ついに「腹巻き」に自ら手を出しました。
11月のある朝、自転車に乗っての出勤中、
コートのちょっとした隙間をすり抜けて、
私の体にすぅーっと冷たい空気が忍び寄って来た。
その冷えは我ながら驚くほどの耐え難さで、
しかも何日も続いたとなってはやり過ごすこともできず・・・。
今年は例年より寒いのかな、とか、
(↑いや、そんなことはない)、
長年愛用しているコートが擦り減ったのかな、とか、
(↑いやいや、その程度ではこんなに冷えない)
自転車のスピード出しすぎなのかな、とか、
(↑いやいやいや、そんなに出してない、というか体力的に無理)、
いろいろ、ほんといろいろ理由を探して見たのだが
(↑明らかに現実逃避)
認めざるを得ない。年のせいだ!
いや正直、この際理由なんてどうでもいいんだ、
この冷えは耐え難い!白旗、白旗。
というわけで、妙な敗北感を覚えつつも、
家にあった適当なものでお腹まわりを温めて出勤してみたら、
これが思いのほか快適!
こりゃ腹巻きするしかなかろ、と、
慌てて腹巻きを購入して、完全武装。
調子に乗って、この冬、3つ買いました♪
腹巻を巻いている自分、とか、
なんともいえず快適、と感じている自分、とか、
ストックを増やすべく店先で腹巻を品定めしてる自分、とか、
認めるのに抵抗はあるものの・・・、あるもののー、
寄る年波には勝てません。
体にぴったりした機能的なやつもいいけど、
個人的にはちょっと厚みのあるふわふわしたアクリルのやつがお気に入り。
「ふわふわ」+「ぴったり」を二枚重ねにしたりして・・・、
あー幸せ!(悦)
実は、ここ数年、同居人に腹巻を薦められていたにも関わらず、
頑として拒み、体を冷して調子を崩して怒られても
なんだかんだと理由をつけてのらりくらりとかわし続けてきた腹巻き。
ここにきて、同居人が呆れるほど態度一変。
こんなにいいものだったとはー!腹巻き!!
私の腹と腰を守ってくれる、
ふわふわの暖かくてかわいいヤツへの
いとおしさがこみ上げてくる。
私を守ってくれてありがとう!
腹巻きは、確かに最近かわいいものが増えてきたが、
そうはいっても色気のカケラもないことに変わりなく、
できれば周囲の人にはつけてるところを見られたくないなぁと思う。
だけど、つけてるとちょっと幸せな気持ちだ。
「守られてる」感じのせいかも知れない。
そういえば、私が10代の頃、
母親に腹巻きだのババシャツだの遠赤外線の靴下だの特殊な生地で出来た首巻きだの、
とにかく周りの友達に明らかに笑われそうなデザインの「武装品」を
しきりに私に薦めて身に着けさせようとした時期があった。
曰く、
「腰と足は冷やしたらアカンよ!首・肩も冷したらアカンよ。これ着なさい」
私はそれまでに、さんざん母親に「体にいいもの」を薦められてかなり食傷気味だったので、
当時は、やんわりと、しかし頑として受け入れなかった。
その「武装すること」に対する温度差の違いは、
性格と体質と、そして年齢の違いから来てるんだろうなあ、
当時おぼろげに感じていたが、
今になって母親がどんなに切実な気持ちだったかやっと実感できる。
彼女が、娘の私に伝えないといけない、と思った気持ちも、やっと理解できる。
母親が生きていたら、どんな話ができたかなと思いつつ、
そして同居人に態度の変わりぶりをからかわれつつ、
私を守ってくれる人の気持ちに感謝して、
今日も腹にふわふわのいとしいヤツを巻いてます。
食いに食ったり15杯。
件のにんにくげんこつラーメンである。
先日認定証が自宅に届きました。
同居人のと見比べて、
「創業者は全部サインしたんだろうか?すごいねえ。」
と感心しきり。
先ほど花月のHPに行ったら、
ずーっと更新されていなかった
花月マスターのページが更新された上
グレードアップしていた。
私の名前の認定証も検索でき、
しかもブログに貼れるというので、
ちょっとうれしくて、サイドバーに認定証をのっけてみました♪
もうひとつ、私が休職していたときに出会った
精神科の先生のお話しを。
その先生は、主治医の先生ではなかったのだが、
復職を目指すうつの人のためのプログラムを実施している病院に
ちょっとだけお世話になったときに診てもらった若い先生だ。
実は、最初「ちょっと頼りない・・・?」と思っていた。
ごめんなさい・・・。
あるグループワークでその先生が言った言葉。
「少年(草)野球のチームのコーチが2人います。
コーチAはとにかく選手を叱り、責めることしかしない。
コーチBは、選手のいいところを見つけ、ほめて、
それぞれのやる気と能力を引き出そうとしています。
さて、皆さんはどちらがいいコーチだと思いますか?」
「たいていの人は、コーチBがいいコーチだと答えます。
みなさんもそのようですね」
ここまでは、まあ、普通のオハナシ。
「でも、うつになる方というのは、
他人に対してはコーチBのように接しようと努めていても、
自分に対しては、知らず知らずのうちにコーチAになっている傾向が強いのです」
とりたてて目新しい話ではないと言われてしまえばそれまでなのだが、
その言葉を聞いたとき、私はガツンと一発後頭部を殴られたような感じがした。
まあ、私の場合、うつになりやすい傾向
(几帳面とか真面目とか責任感が強いとか、発病しなければむしろ美徳とされる性質)を
どこまで持っているのか疑問なのだが、
しかし、うつになる前の数年間に限っていえば、
ずっと「怠け者の自分に鞭打って」いたような気がする。
自分に及第点を与えてしまうと、甘えて怠けてしまいそうな気がして、
「とにかく限界まで頑張れ!」と考えているところがあった。
確かに、人生にはそういう時期も必要だと思うのだが、
一方で、それをずっと続けることは不可能だと今なら思う。
そうはいっても人間の考え方ってそう簡単には変わらないし、
「厳しくされて伸びることもあるんじゃないのー」とか、
やっぱり考えちゃう。
つまりは、さじ加減の問題なんだよなー。
そして、そこのところの判断がとても難しい。
少なくとも私には。
ただ、「コーチ」という例を出されたことで、
どういうとき自分に厳しくしないといけなくて、
どういうときに自分をきちんとほめてあげないといけないかっていうのは、
子どもを育てるときの迷いどころと似ているのではないかなあ、と気付かされた。
私に子どもはいない。
しかし、私を育ててくれた母も既に亡き人になった。
もういい歳でこんなことをいうのはむしろ恥ずかしいが、
私は、私を責任を持って「育てて」いかなくちゃいかないんだな、
と、先生の「コーチ談話」を聞いて考えた。
母親である私が、子どもである私を、
「あんまり出来はよくないけど、元気に大きくなれよ」と願って
ほめたり叱ったりしている。
・・・まあ、なかなか思うようには育たないのは世の常。
完璧な親がいないというのも、世の常、ですかね(笑)。
ニュースを見ていると、ときどきとんでもない言葉に出くわす。
自分でも「不謹慎だなあ」と思うのだが、
下手なバラエティ番組より大笑いしてしまって、しかも後を引くものもある。
最近聞いたのは、これ。
衆議院選挙の結果、自民党が大勝した翌日、
アジア各国がどのような報道をしたか、というニュースの中での一言。
「『小泉首相は王様になった』と報じた」という、
ちょっと煽動的なトップを紹介の後のコメントだった。
「『今後は小泉首相のひとり芝居だ』と報じたメディアもありました」
・・・「ひとり芝居」!?
まあ、そういう捉え方もないわけではないけれど(爆)、
文脈から考えると、正しくは「ひとり舞台」なのでは?
誤訳か、日本語の用法の誤りかわからないが、
すごく似ているけれど、まるで反対の言葉だなあ、
とあらためて思った。
さて、このニュースから得られる教訓とは?
たとえ今後私(あるいはあなた)が、
哀しくも「私ってば『ひとり芝居』を演じてるんじゃないの?」
と危惧する状況に陥ったとしても、
「むしろ私の『ひとり舞台』。好きなようにやったれ!」
と思うことができれば、状況は一転・・・するかもしれない。